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コラム

世界のYAZAWA

2023年10月24日

最近、僕の中で 「やっちゃえ、〇〇」で有名な(?)

矢沢永吉さんの 「オレはいいと思うんだけど、YAZAWAがなんて言うかな」 というフレーズをたまたま目にする機会があって、

それからそれがすごく気になっていて、 まさに「アイデンティティ」について考えさせてくれるな〜と思っています。

このフレーズがどこから来たのかもちょっと調べてみたのですが、 ある時、矢沢さんのイベントで、 スタッフが矢沢さんの泊まるホテルのスイートルームを手配していたらしいのですが、 手違いで、ツインルームを手配してしまったらしいのです。

そのスタッフが慌てて謝罪したのですが、 その時の矢沢さんが答えた言葉が、

「あぁ、そうなの? いいよ、部屋がない訳じゃないんだから、気にしないでよ! 俺は別にいいから。俺は別にいいんだけど、YAZAWAが何て言うかな?」

だったそうです。
(ちなみにこの後スイートルームが手配されたそうです)

個人としての矢沢さんももちろん尊い存在だと思うのですが、 矢沢永吉さんって多分 「ロックスターYAZAWA EIKICHI」 として生きているんだと思うんですよね。
(あまり矢沢さんのことについては知らないのですが、、、)

だからこそ、この矢沢さんの言葉は、 矢沢さんの個人としての「アイデンティティ」と、 矢沢さんの生き方でもあるロックスターYAZAWAとしての「アイデンティティ」 の違いとその在り方を表現している発言だな〜って感じたりしました。

何となくですが、 矢沢さんの中にある

「この自分として生きる」 という強いアイデンティティが、 「ロックスターのYAZAWA」だと思うのですが、 そのことを自分自身で俯瞰して認識している状態になると、 「オレはいいと思うんだけど、YAZAWAがなんて言うかな?」

って言葉が出てきて、 「自分のアイデンティティを自己認識できいる状態」 になるんじゃないかなと思います。

自分でアイデンティティが認識できていたりすると良いのですが、 自分でも認識できていなかったり、 意識の外にある時のために、 何となくですが、 言葉を変えると、 「本当の本当はどうしたい?」とか、 「自分の中にある『自分のことを全力で幸せにしようとしている自分』だったどうする?」 って問われている状態に近いんじゃないかなっていう気がしています。

「アイデンティティ」というか、 「何者としてこれをやるのか」とか 「何のためにやるのか」っていう キーワードが最近大事な感じがしています。

そういう時に軽く自分自身に 「僕は別にいいんだけど、YAZAWAが何て言うかな?」 とか 「僕は別に良いんだけど、本当の自分が何て言うかな?」 とか 「僕は別に良いんだけど、僕の中の○○が何て言うかな?」 って聞いてみたりしていますw いきなり 「何者として生きるか」とか 「何のためにやるのか」って自分に問うてみても、 なかなか深いところまで辿り着けなかったりするかもしれません。

でも、 「自分のことを全力で幸せにしようとしている自分はどうしたいか」とか、 「自分が本当の本当に望むことは何だろう」とか、 できる範囲でも考えてみたり、 深掘りしてみると、 自分自身のことが少しずつ見えてきたり、 自分のことを理解するきっかけになるんじゃないかなと思います。

では。