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コラム

才能は見つけるものではなくて、自覚するもの

2023年3月9日

「自分の才能」って、自分で何かわかりますか?

僕も二十代の頃からずっと「自分の才能って何だろう」とずっと考えてきましたが、実は自分の才能が何なのかわからない時期がずーっとあって、自分の才能を探し続けるということをずいぶん長いことやっていました。

自分の才能や可能性を探し求めている時は、きっと才能を見つけた時「これこそが自分の才能だったのだ!」と腹の底から感じられる輝かしいものだと信じて、そんな輝かしい才能を探し求めていました。

イチローとか、本田圭佑みたいにわかりやすくあんな感じで発揮できる才能が自分にもあるはずだ!と思っていたんですよね。

だから、そんな光り輝く才能を探していたし、そんな風に才能を輝かせている人を見ると眩しくて羨ましかったりしました。

しかし才能って、探しているうちは意外と見つからない「青い鳥」のようなものですので、きっと探しているうちは見つからないことの方が多いです。

「俺の才能はこれだったのかーー!!」みたいに湧き上がる情熱やパッションと共に自分の才能を自覚できる人もいるのかもしれないけれど、才能を自覚するってそういうケースばっかりじゃなかったりします。

どちらかといえば、「めっちゃひかり輝く才能!」という感じで才能に目覚めるというよりは、諦めて今ある自分で勝負していくしかないなと思って、自分と向き合って自分のできることとか、人から求められていることってこれなのかな?って自覚した時に初めてそれが、才能なのかもしれないって気がついたりするものだったりします。

才能ってきっと自分の中にあるものなのですが、それを自覚する時って、


「あー、自分の才能ってこれなのかあ・・・薄々気づいていたけど、やっぱこれなんだなあ〜」


って感じで自覚することが多くて、感動とかよりも「あー、やっぱりこれをやるしかないのかあ・・・orz」みたいな諦めに近い形で腹落ちすることって結構あったりします。

何でかっていうと、それをこれまで自分が「才能」だと自覚していなかったからです。

もしも自分にイチロー並みの才能があったとしても、自覚してなかったり、使う場面がなかったら、それが才能かどうかもわからなかったりするものです。当たり前だけれど、野球の才能があったとしても、自分が自覚してそれを磨かないと開花しないですからね。

だから意外と今の自分が当たり前にできていることだったり、人からお願いされたりしていることが才能だったりして、色々探しても才能が見つからなくて「あーもう諦めて今自分にできることからやろう」って思った時にようやく才能を自覚できたりするっていうのはそういうことだったりします。

そして才能は自覚して使って磨けば磨くほど光るので、せっかく見つけたらガンガン使って磨いていくとその才能が輝いてきたりするのです。

自分の才能を探すことも大事だけれど、今この瞬間に自分ができていること、得意なことに目を向けてみると意外と自分の才能が見えてきたりしたりするものです。