コラム
2024年3月15日
ちょっと有名な話かもしれませんが、
海外の大学で、教授が生徒に話したって言われている話で、
「壺の話」が結構わかりやすい例えだな〜と思ったので、
少し長いのですが、その話を紹介してみたいと思います。
こっから壺の話
〜〜〜
ある大学でこんな授業があったという。
「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出して教壇に置いた。
その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。
壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」
教室中の学生が
「はい」
と答えた。
「本当に?」
そう言いながら教授は、
教壇の下からバケツいっぱいの砂利を取り出した。
そして砂利を壺の中に流し込み、
壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。
そしてもう一度聞いた。
「この壺は満杯か?」
学生は答えられない。
一人の生徒が「たぶん違うだろう」と答えた。
教授は
「そうだ」と笑い、
教壇の下から砂の入ったバケツを取り出した。
それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、
三度目の質問を投げかけた。
「この壺は満杯になったか?」
学生は声を揃えて、
「いや」と答えた。
教授は水差しを取り出し、
壺の縁までなみなみと水を注いだ。
彼は学生に最後の質問を投げかける。
「僕が何をいいたいのかわかるだろうか?」
一人の学生が手を挙げた。
「どんなスケジュールが厳しいときでも、最大限の努力をすれば、いつでも予定を詰め込むことは可能だということです」
「それは違う」
と教授は言った。
「重要なポイントはそこではないんだよ。
この例が私たちに示してくれる真実は、
大きな岩を先に入れない限り、
それが入る余地は、その後二度とないということなんだ」
君たちの人生にとって
「大きな岩」とは何だろう、
と教授は話しはじめる。
それは、
仕事であったり、
志であったり、
愛する人であったり、
家庭であったり、
自分の夢であったり……
ここでいう「大きな岩」とは、
君たちにとって一番大事なものだ。
それを最初に壺の中に入れないと。
さもないと、君たちはそれを永遠に失うことになる。
もし君たちが小さな砂利や砂、
つまり、自分にとって重要性の低いものから壺を満たしていけば、
君たちの人生は重要でない「何か」に
満たされるものになるだろう。
そして大きな岩、
つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、
その結果、それ自体を失うだろう。
〜〜〜
という話です。
(ちょっと長かったけど。。。w)
普段の日常の中でも、
自分の周りにいる色んな人に必要以上に気を遣ったり、
嫌な人や事、周りの目や、顔色を気にしてばかりいたら、
本当に一番大事な人や事やモノを
おざなりになったり、大事にできなくなってしまうんじゃないでしょうか。
そして、
「目の前にある重要度の低いこと」や、
「やらなければいけないと思い込んでいること」に
意識を取られすぎてしまっていると、
「本当に自分がやりたいこと」が
出来なくなってしまったり、
分からなくなったりすることもあったりすると思うので、
時には「優先順位」を明確にする
っていうことをしてみるといいんじゃないかな〜って感じます。
そうやって
「自分が一番大事にしていること」
を優先していると、
いつの間にか、それに付随する形で、
他のやりたいことや大事にしたいことも
気がついたら良くなっていたみたいなこともあるんじゃないでしょうか。
僕は、昔
仕事に偏りすぎてて、自分の本当の優先順位がわからなくなって
ある出来事をきっかけに
「家族」を一番大事にしようって決めた時があって、
「家族を」一番にした時に、
「家族との時間」を大事にできるライフスタイルの優先順位が上がって
仕事や家族との時間やバランスなど、徐々に自分がこうしたいなっていう形に近づいてきたりしました。
「価値の序列」という言葉もあるように、
(自分の中の優先順位)
やりたいことや、やるべきことや、付き合う人が多くなってしまったときに
今の自分の優先順位と、
本当に自分が大事にしたい優先順位を
確認してみることって、結構大事なんじゃないかな〜って思いました。