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コラム

正しさの外側に立つ

2026年3月3日

こんにちは。

 

今日は、ひな祭り(桃の節句)でしたね。

 

我が家では久々に恒例の手巻きパーティで、
家族で心身の健康をお祝いしました^^

 

(子供達も大好物なので、一瞬で全部無くなりましたw  絶賛育ち盛りです^^)

 

全国的に冷え込み、気温差も大きくなっていますので、
どうぞ皆さま健やかにお過ごしください。

 

今日は、ちょっとだけ

「正しさ」についてお話ししてみようと思います。

 

 

世の中には、さまざまな価値観や考え方が溢れ、

それに伴って、

たくさんの「正しさ」が存在していますよね。

 

 

もしかしたら自分たちは日々、

知らず知らずのうちに(無意識に)

「どちらが正しいか」

を選びながら生きているのかもしれません。

 

 

例えば、

この言い分は間違っているよ

相手がよくないね

本当はこうあるべきだ

このような周りの意見にも影響されながら、

気づけば「正しさ」の中に立ち、

そこから世界を見ていることもあります。

 

 

でも、

「正しさ」の中にいるときほど、

心はどこか固くなりやすいものです。

 

 

そんな時は

無性に分かってほしくなったり、

なぜか否定されたように感じたり、

エネルギー(内側)がザワついたり

そのようなこともあるかもしれません。

 

 

なぜなら「正しさ」は、

良いも悪いも、とても強いエネルギーを持っているからです。

 

 

「正しさ」の中にいるとき、

自分たちは自分を守るために、価値観を守るために

自然と「守り」の姿勢になります。

 

 

それは、

荒波の海の中に立っているような

感覚に近いのかもしれません。

(波に揉まれ、足元は揺れて、次の波が来ないかと身構え、無意識に力が入ってしまうような感じで)

でも、

ここで「小さな選択」を一つすることもできます。

 

 

それは

「正しさの外側に立つ」

ということです。

「外側に立つ」とは、

どちらかを否定することでも、我慢することでもありません。

 

 

ただ一歩、意識を引いて

「正しさがぶつかり合っている構図」

を少し離れた場所から眺めることだったりします。

 

 

海の中で波と向き合うのではなく、

いったん岸に上がってみるような感覚です。

 

 

岸に立てば、

波の動きも、潮の流れも、少し冷静に見ることができますよね。

 

 

すると見えてくるのは、

誰もがそれぞれの「フィルター」の中で世界を見ている

という事実だったりします。

 

 

人はそれぞれ、

違う色のメガネをかけています。

 

 

赤いレンズの人には赤い世界が、

青いレンズの人には青い世界が広がっていたりします。

 

でも、どちらも

「世界そのもの」ではなかったりします。

 

 

「正しさの外側に立つ」とは、

ー度その「メガネ」を外してみることです。

 

 

例えば、

過去の経験

まだ癒えていない傷

信じてきた価値観

その背景から、

それぞれの「正しさ」が生まれています。

 

 

そう思えたとき、

争う必要は少しだけ薄れていきます。

 

でも、ここで

とても大切なことがあります。

「正しさの外側に立つこと」は、

「何でも受け入れること」ではありません。

 

 

相手の「正しさを理解する」ことと、

「自分を明け渡す」ことは違います。

 

 

そこには

「ここまでは自分の領域」

という境界線が必要になってきます。

 

 

「自分の感情は、自分のもの」

「相手の感情は、相手のもの」

「自分の選択は、自分のもの」

「相手の選択は、相手のもの」

誰かの「正しさ」が

自分の領域に入り込んできたとき、

「それは相手の世界ですね」と

心の中で線を引くことが大切になってきます。

 

 

「境界線」とは、

相手を拒む壁ではなく、

自分の足場を守るための「小さな防波堤」のようなものです。

 

 

防波堤があるからこそ、

岸は削られず、穏やかさを保つことができます。

 

 

「正しさ」の中に入り続けると、

自分たちは、荒波の中に立ち続けることになります。

 

 

でも外側に立ち、

自分の「境界線」を保てたとき、

自分たちはちゃんと岸に立ちながら、静かな場所に身を置くことができます。

 

 

もし心がざわついたときは、

「いま、自分は何かの正しさの中にいるかな?」

と問いかけてみてるのもいかもしれません。

(そしてほんの少し、岸に上がるイメージをしてみて、
その上で、自分の境界線が守られているかを感じてみてください)

どちらも責めず、どちらも握りすぎず、

でも「自分は大切にする」という姿勢が大事になってきます。

 

 

その位置に立てたとき、

識はひとつ上の静観な場所へ移動しています。

 

 

「正しさを手放すこと」は

弱さではなく、しなやかな強さや成熟さへとつながり、

「境界線を持つこと」は

冷たさではなく、愛や思いやりへとつながっていきます。

 

 

「正しさの外側に立ち、境界線を持つこと」

もしかするとそこには思っている以上の

自由が広がっているのかもしれませんね。